がく
前回、33年前のガンプラ購入事情について書きました。
懐かしく、ガンプラノスタルジイになり、色々と思い出してきたので、今回は33年前のガンプラ製作技術事情について書きたいと思います。
ただ単に感慨にふけりたいですw
33年前、ガンプラ製作の技術は人づてに聞くか、コミックボンボン(だった気がします) でした。
『コミックボンボン』は、かつて講談社が発行していた日本の月刊児童漫画雑誌。
引用:コミックボンボン-wikipedia
なんでコミックボンボンかというと「プラモ狂四郎」が連載してたからです。
プラモ狂四郎は圧倒的人気で狂四郎がサッキー竹田に負けたときはムカつくやつは「サッキー○○」と呼ばれていました。
エアブラシとか、プラモ狂四郎の中だけの話かと思ってましたw。
まぁそもそも、圧倒的に情報は足りませんでしたね。
今みたいにネットはないし、ハウツー本なんてモノもない。
そのような状況なので大抵は近所の中高生のマネをした高学年から技術を盗んだりマネたりするワケです。
なんで盗むのかというと、当時はなかなか情報が回ってこないのでガンプラ製作の技術情報が貴重でした。
なのでガンプラ製作の技術を簡単に教えてくれないワケです。
だって、技術がでまわっちゃうと、ガンプラが上手なヤツがたくさんになっちゃいますから。
合わせ目消しなんぞはパテを買ってきて合わせ目に塗り込み、乾くのをまって紙ヤスリで削る、というのだけでした。まぁ間違ってはいないのでしょうけど、他にももっと方法はあったかな、と。
でも、合わせ目消しは、ほとんどの子供がその方法でやってましたね。
しかも、パテもさほどおもちゃ屋さんには売っておらず、場合によっては電車に乗って近くの繁華街のデパートへ行く始末。
わたくしの近くの繁華街といえば千葉県の柏駅で、そこのそごうの8階おもちゃ売り場までよく親に連れて行ってもらいました。
そういえば当時は塗料もあまり売ってなくてガンプラの正しい色を塗るのは少々困難でしたな~。Gアーマーとかはエライ難しかった記憶が・・・。
Gアーマーって自分の中ではすごく好きだったのですが、同級生には全く人気がなく、おもちゃ屋さんでもプラモは余り気味でした。なんでだろ?
麻雀用語使わせてもらいますけども、Gアーマーって、まずセイラさんが乗ってる時点で1翻、ガンダムとドッキングできるってことで2翻なのになw
塗装もみんな一生懸命筆で塗ってました。
一度塗って乾かし、次は違う方向に塗って乾かし・・・。
で、部屋中がシンナー臭くなる。
で、親に窓を開けろと叱られる。
冬場は極寒の部屋の中で塗料塗ってました。
エアブラシを持っているのは、年配者が趣味で戦車のプラモデル作ってる、とかそういう人でした。
少なくともウチの近所は一人もいませんでしたね~。
そんな時代を過ごしてきましたので、ガンプラ道具見ちゃうと心が踊りまくっちゃうワケです。
これ、見てくださいよ。すごい品揃え。イエローサブマリン丸井柏店なんぞに行くと心踊りまくりです!
イエローサブマリン丸井柏店、こんなに色々あったらですよ、
33年前は割り箸に洗濯バサミつけて粘土にさしてましたよw
いま、模型屋に行くと背後にDJKOOのスタンドが現れるんですよね。
「買っちゃいなYO」と呼びかけるスタンドと「それホントに必要なの」と呼びかける実在する嫁。
でもね、スタンドの呼びかけについこたえちゃうんですよね。
なので、ついつい買っちゃうのです。
でもね、自分にも言い聞かせたい。
本当に必要な道具かをキチンと吟味して買うようにしたい!
でもね、紆余曲折を経て、40歳過ぎてようやく辿り着いた安住の日々(実際は貯金が全然ないので安住ではない)。
ガンプラくらいやらせていただきますよ!ええ、やりますとも!!
っていうか、別に嫁は咎めてないw
MGの百式だって作るんだ!まだだ!まだ終わらんよ!
MGのファーストガンダムだって作るんだ!たかがメインカメラがやられただけだ!
っていうか、さっさとリックドム作れ。
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